人生終わってるところから始めてみる

長年ひきこもりのアラフイフ女が2019年春からパートを始めました。

71.4キロ 母の回顧と後悔と

私の母は乳癌がきっかけでそれが全身に転移して亡くなりました。最初に乳癌の手術を終えた時は腫瘍も念のために大きめに切除したので、もう大丈夫だろうと思っていました。3年くらい経過してから今度は肺ガンが発覚しました。とりあえずすぐに切除して腫瘍を調べたところ、以前手術した乳癌の転移だったとわかりました。退院後は通院しながら抗がん剤治療を始めましたが、多少の副作用はあったものの母は元気に過ごしていました。

ただ癌はその感もじわじわと転移が確認できました。リンパ節に転移が認められたと聞いた時は手術も出来ないため、ショックを受けたのを覚えています。

それでも本人は比較的元気に毎日を送っていました。

 

異変が起きたのはリンパ節に転移が認められてから1年くらい経過したある日、母の腰痛が酷くなり動くたびに激痛が襲うようになりました。

 

あまりの激痛に急遽病院で検査してもらうと腰の神経の横に腫瘍が確認できました。この腫瘍が手術で取り除けるかは背骨に針を刺し、髄液を抜く検査をしないとわからないといわれ、母は検査を希望しました。でも母にとってはこの髄液を抜いた検査の日が最後に自力で歩いた日になりました。

髄液を抜いたあとは一層腰の痛みがひどく、動くことが辛いのでほとんど寝たきりで突然介護が必要な生活になりました。

検査の前日までは腰が痛いながらも自力で歩けていたので本当にショックでした。

検査の結果は癌の転移からの腫瘍でした。手術をしたとしても高齢のためかなり身体への負担が大きくなると言われました。それでも母は手術を希望したので病院を転院することになりました。

ただこの寝たきりになった日を境に、母の容態が崖を下るように日毎に悪化し、とても手術できるような状態ではありませんでした。

ご飯が食べられない、身体はむくみ、痛み止めなどの点滴の副作用からせん妄も現れました。

 

せん妄やむくみが現れてから2ヶ月後、母は病院で息を引き取りました。

亡くなる前日はせん妄も無く、ふつうに会話は出来ましたし、ご飯の量も増えたので少しホッとしていたのですが、何というかあっという間でした。

 

今にして思うのは、手術ができなくていいから骨髄の髄液を抜く検査を希望せず、痛みながらも自力で歩く生活をもう少しだけさせてあげたかったなぁということです。

もちろん手術で腫瘍を切除して元気になれる人は絶対に受けたほうがいい検査です。

でも母の場合は全身に癌の転移があるというのはわかっていたわけですし、無理に検査をしなくても良かったと思っています。

医師から強制されたわけではなく、あくまでも提案という形だったのも納得です。

ただ家族はみんなで本人の意思を尊重するという方針で支えてきたので、検査を止めようなんて微塵も思ってなかったのも事実です。

 

いまさら後悔先に立たずですね。

 

でもきっとこの後悔が消えることはないんだろうなぁ。