人生終わってるところから始めてみる

長年ひきこもりのアラフイフ女が2019年春からパートを始めました。

72.6キロ 不穏な空気

最近パート先の業績が伸びず、赤字が続いているためシフトを減らされる人が増えてきました。

私はもともと人数の少ない時間帯勤務なのもあり、まだシフトを減らされたりはしていないのですが、以前と違って残業や、追加で出勤を頼まれることがほとんどなくなりました。

残業は厳禁です。終わらない仕事は次の時間帯の人に引き継いで必ず時間通りに帰りなさいと通達がありました。たしかに今までは、お喋りしながらダラダラ自分の好きなように残業していた人もちらほら見かけていたのでこれに関しては個人的には良い変化だと思います。

締めるとこはきちんと締めないと組織としては成立しないですし。

もちろん締め付けが厳しくなった反動で色々なところから愚痴や不満が聴こえてきます。

でもそれこそが組織として健全な姿なんじゃないかなとも。働いてる人全員が不満なく自由に好きな仕事ばかりしてたらそんな会社潰れますもん。

愚痴ったっていいし、不満だらけでもいい。

仕事に私情を挟まずきっちり分けられたらそれでいいです。

ただこのまま赤字が続くといずれはパート先が無くなってしまうのでどうしたものかと。

不景気ですねぇ。

 

 

 

 

72キロ 親友の話

私には大切で大好きな親友と呼べる友人がいます。

彼女もアラフィフで独身ということもあり、時間の融通がきくのでよく2人で遠出します。

そして時々将来の話をします。

お互いに70歳くらいになったらどうしてるのかなという話題です。

私は経済的に自分の貯蓄じゃ70すぎたら生活もままならないかもと素直に話してます。

彼女は私に、生活困ったらいつでも私のとこにおいでと言ってくれます。

この優しい言葉にどれだけ勇気づけられたか。

彼女のような友人に出会えたことは私の誇りです。

貴女の存在で老後が少したのしみになったよ。

大好きな友人、これからもたくさん語ろうね^_^

 

72キロ 4ヶ月目です

ひきこもりの私が意を決してパートを始めてから早くも4ヶ月目になりました。今のところ欠勤や遅刻などもなくこなせております。

もちろん小さな失敗は多いにありますが、そういったことも含めて働くってことだと思います。

親切な職場の人達に支えられながら働けるのは本当にありがたいです。この感謝を行動でお返し出来るように日々精進したいです。

 

引きこもっていた頃の自分が怖かったのは仕事をすることよりも、仕事場での人との繋がりだったんですが、人の話をしっかり聞いてそれに対して笑顔でハキハキ答えられたら大抵のことはどうにでもなるとわかりました。

あとは一生懸命にやってたら必ず見ててくれる人はいます。

 

これからもがつんと頑張れ私!

71.4キロ 働きはじめて3ヶ月

パートを始めて3ヶ月経過しました。

緊張感が図らずしも薄れてくる時期だからこそより一層の緊張感を持って働きたいと思ってます。

仕事面も人間関係も本当に些細なこと、多くは油断や慣れで取り返しのつかないことに発展しかねないのでここからが大切だと思ってます。

 

あとおそらく恵まれていると思うのは同じ時間帯に一緒に働く人達はみんな好きです。

みんな程よい距離感で接してくれるので心地よいです。店長も社員も親切な方ばかりです。

 

この人達と出来るだけ長く一緒に働かせてもらえたらなと心から思います。

では今日もパート行ってきます!

72キロ 今日は寒いです

最近蒸し暑くなってきたので半袖を片付けてしまったらいきなり寒くて着る服に困ってしまいました。でも蒸し暑いよりは過ごしやすいです。

さて長年のひきこもり生活からなんとか抜け出し、パートを始めて4ヶ月経過しました。

時間の経過とともにほんの少しだけ自分に自信が持てるようになりました。

仕事上での悩みは幸いにも特にないので、このまま働けるだけ働かせてもらえたら嬉しいです。

3ヶ月すぎた頃から出勤するのも緊張しなくなってきたのですが、こういう慣れが出てくるころは一番うっかりミスをしやすいので、ここで一度心の帯を結び直してしっかり仕事に取り組みます。

 

そして今年の父の日ギフトは今月のお給料全部使ってお父さんにお返しします!!!

72.8キロ 変化のない心地よさ

体力的にパートがつらい日もありますが、今月も無事に変化なくすぎました。

日々穏やかに過ごせるというのがこんなに有難いことかとしみじみ思います。

大きな事件があってテレビでは引きこもり問題を取り上げる機会が増えていますが、やはり深刻な問題だと思います。毎日毎日絶望感に襲われるんです。でもなかなか仕事の面接にも怖くて行けなかったんです。

引きこもりの支援はすぐに就労するのは困難なので最初に他人との交友で外出したいと思うきっかけを作らないとなにも始まらないと思います。

買い物の時だけ外出するのはひきこもり脱出の足がかりにはならないので、あくまでも親族以外の人との交友関係を作ることがスタートだと思ってます。

それには家族の協力と理解が大前提ですが、世間体もあるしなかなか外に相談できない家が多いのが現状なんだろうと思ってます。

 

 

71.4キロ 母の回顧と後悔と

私の母は乳癌がきっかけでそれが全身に転移して亡くなりました。最初に乳癌の手術を終えた時は腫瘍も念のために大きめに切除したので、もう大丈夫だろうと思っていました。3年くらい経過してから今度は肺ガンが発覚しました。とりあえずすぐに切除して腫瘍を調べたところ、以前手術した乳癌の転移だったとわかりました。退院後は通院しながら抗がん剤治療を始めましたが、多少の副作用はあったものの母は元気に過ごしていました。

ただ癌はその感もじわじわと転移が確認できました。リンパ節に転移が認められたと聞いた時は手術も出来ないため、ショックを受けたのを覚えています。

それでも本人は比較的元気に毎日を送っていました。

 

異変が起きたのはリンパ節に転移が認められてから1年くらい経過したある日、母の腰痛が酷くなり動くたびに激痛が襲うようになりました。

 

あまりの激痛に急遽病院で検査してもらうと腰の神経の横に腫瘍が確認できました。この腫瘍が手術で取り除けるかは背骨に針を刺し、髄液を抜く検査をしないとわからないといわれ、母は検査を希望しました。でも母にとってはこの髄液を抜いた検査の日が最後に自力で歩いた日になりました。

髄液を抜いたあとは一層腰の痛みがひどく、動くことが辛いのでほとんど寝たきりで突然介護が必要な生活になりました。

検査の前日までは腰が痛いながらも自力で歩けていたので本当にショックでした。

検査の結果は癌の転移からの腫瘍でした。手術をしたとしても高齢のためかなり身体への負担が大きくなると言われました。それでも母は手術を希望したので病院を転院することになりました。

ただこの寝たきりになった日を境に、母の容態が崖を下るように日毎に悪化し、とても手術できるような状態ではありませんでした。

ご飯が食べられない、身体はむくみ、痛み止めなどの点滴の副作用からせん妄も現れました。

 

せん妄やむくみが現れてから2ヶ月後、母は病院で息を引き取りました。

亡くなる前日はせん妄も無く、ふつうに会話は出来ましたし、ご飯の量も増えたので少しホッとしていたのですが、何というかあっという間でした。

 

今にして思うのは、手術ができなくていいから骨髄の髄液を抜く検査を希望せず、痛みながらも自力で歩く生活をもう少しだけさせてあげたかったなぁということです。

もちろん手術で腫瘍を切除して元気になれる人は絶対に受けたほうがいい検査です。

でも母の場合は全身に癌の転移があるというのはわかっていたわけですし、無理に検査をしなくても良かったと思っています。

医師から強制されたわけではなく、あくまでも提案という形だったのも納得です。

ただ家族はみんなで本人の意思を尊重するという方針で支えてきたので、検査を止めようなんて微塵も思ってなかったのも事実です。

 

いまさら後悔先に立たずですね。

 

でもきっとこの後悔が消えることはないんだろうなぁ。